2019/07/02
今でも、週に1度脳外科の外来をやっています。
先日クリニックのパソコンの画面に懐かしい名前を見つけました。
珍しい綺麗な名前。
ここではKさんと呼んでおきます。
今を去る事23年前。
大学病院の救命センターのチーフを終えてもうすぐ1年。
3月のその日は病院の当直でした。
夕方7時頃だったでしょうか。当直室でくつろいでいると、
ポケットベルが鳴りました。
救命センターからでした。
急患が来たけど手術中でチーフがいないため、研修医からの要請でした。
自転車の女子高生がダンプにはねられ、搬送されていました。
意識レベルは昏睡状態、下額呼吸といわゆる虫の息でした。
研修医が差し出したCTの写真を見ると急性硬膜下出血でした。
右側の白い部分が血の塊、血腫です。
脳は柔らかいので反対側に押しやられ歪んでいます。
ところがこの時、KさんのCT所見は厚い血腫がありながら、脳は歪んでいない。
ということは、出血していない側も血腫の圧に抗するくらい腫れている。
すなわちダメージがあるということです。
このようなCTは後にも先にもこの時だけです。
早速、家族に話をしました。
お父さんとお母さんそして叔母さんの三人です。
お母さんは泣き崩れ、なだめるおばさん。
お父さんも動揺が隠せません。
CTの所見を説明し、瀕死の状態であること、手術しても助からない可能性も高いけれども、
彼女はまだ17歳と若い。
「彼女の若さにかけてみませんか?」
「お願いします」とお父さん二つ返事。
早速、緊急手術となりました。
両側大開頭血腫除去外滅圧術
長ったらしい名前の手術ですが、幸いに彼女は命を長らえることになりました。
その後、私は国内留学へ行ったためしばらく診ていませんでしたが、
半年後 大学病院へ戻ってくると後遺症で車椅子ですが元気に入院生活を送っていました。
そんなKさんとの再会。
現在40歳になりますが、あのころと変わらない笑顔。
一方お母さんは、介護のためか少し更けて背中が曲がっていました。
「Kさんお久しぶりです」
声をかけると、彼女たちも覚えていてくれて、しばらく昔話に花が咲きました。
23年前に助けた命!
感慨深いものがあります。
23年前の後日談。
手術のちょうど1年後。
日曜の夕方に一人で晩御飯を食べに行きました。
隣の席で、女子高生3年生2人組が進路の話をしていました。
1人が、「看護大学に行きたい。N大かF大にいきたい」
もう一人が「どうして?」と聞くと
「ちょうど1年前に友達がトラックではねられてF大に運ばれて、最初はもうだめだって言われたんだけど
3か月くらいしてお見舞いにいったら車椅子で元気にしてた。すごいよね!
だから看護師になるんだ。」
F大って、ウチの大学だよなあと思いながら店を出てから思い出しました。
「もうだめです」って言った医者
俺だ!!
Kさんに聞いてみるとN大の看護大学に進んだ友達がいるそうです。